
宮中顧問官、正三位勲 一等、農学博士福羽逸 人(ふくば・はやと) 子爵(写真提供、誠文 堂新光1987年6月
発行「福羽逸人を憶ぶ」 より謹撮する。 | イチゴが日本で本格的に栽培されたのは、明治32年(1899年)に東京の新宿御苑内
の温室で 福羽逸人博士がオランダから輸入したイチゴを改良して皇室に献上した事に始まります。
当時、新宿御苑は宮内庁の管理化に有り、此処で研究、栽培されたものは宮中以外は門外不出をされていました。福羽博士は10年余の歳月 をかけて改良に改良を重ね完成したイチゴに自らの名前を冠して「福
羽苺」と命名。その後許可を得て、市場向け栽培が行われる様になっ たのは昭和の初期の頃(1928年〜30年)の事です。当時、静岡県の 蒲原町、小笠町、等ではアメリカ種のマーシャルやビクトリアという
品種のイチゴを生産して東京や大阪の青果市場に出荷し、千疋屋や万 惣、などの高級果実店や、洋菓子店の先駆者不二家などに供給していましたが、福羽苺が登場するや需要はこのイチゴに集中し、静岡の広範囲の地域で福羽苺の本格生産が始まりました。この時既に熱心な生産者は
石垣栽培を始め、更にその上にガラス障子を被せて保温するハウスの原型とも云える栽培も始めて います。 |